#国は安楽死を認めてください
というタグがTwitterのトレンドに上がっていた。
呟かれている内容を見ると、個人的には頷ける内容が多いと感じた。
私も兼ねてから安楽死を認めてほしいと思っている。
生まれることは選べないのだから、死ぬことぐらいは自身で選ばせてほしい。
自由に生きていいんだよ、なんて言葉が蔓延るなら、死ぬタイミングも自分で決めていいんだよ、と言ってほしい。
今すぐにこの世と訣別したいわけではない。
しかしこの先、どうしようもなく生きることが疎ましくなった時、或いは人生のピークを越えたと感じた時、自分で幕引きを決める制度があってもいいのではないか、と日頃から感じている。
「そんな制度ができたらみんな死んじゃうよ」と言う人もいるが、安楽死制度ができたことで死を選ぶ人が増えるなら、この国は相当生きづらいという証拠なのではないか…?
国主導で生きやすい状況に変えていく必要がある。
現にタグとして安楽死を認めてほしいという言葉が散見されるほど、生き難い、幸先に不安を感じている人が多いという現状が見て取れる。
生を受けたら自然に朽ち果てるまで生き続けなければなりません、強制終了は許されませんという世界より、安楽死という担保を抱えて生きていく方が幾分穏やかに過ごすことができる。
人生100年時代といわれている今。
じゃあアナタ、100歳まで生きたいですか?と聞かれたら、私は「いいえ」と答える。
そこまで長生きしたいと思っていない。
むしろ、アナタの寿命はあと1年ですと言われても「あーそうですかー」ぐらいにしか感じないかも知れない。
生きることに対してあまり欲求がない。
中学の頃、40歳手間でポックリ逝けたら本望だ…と思っていた。
中学の頃の私よ、その望みは叶わないと思うぞ…ハハッ…
安楽死が合法化している国はあるが「不治の病で回復の見込みがない患者」が条件として上げられているので、現在タグを使って安楽死を要求している人達の考えとは認識がズレているのかも…と思うところはある。
心因的な生きづらさ、人生の行き詰まりから自死を選ぶ人が後を立たない今、その解決に安楽死制度があれば…とも思うが、現実には難しいのかもね。
まぁ人間は、死にたいなぁ…と思ったとしても、具合が悪ければ薬を飲むし、感染症に罹らないようにマスクもする。
本能では生きながらえようとする矛盾。
いずれは誰もが死んでしまうから、今死ななくてもいいんじゃない?と思いながら生きていくほかないのかもね。
生命力が削られる暑い日が続いているが、無事に生きていこう。