誰もが羨むような地位、名誉、富、権力、美貌を手にしていたとしても自死を選択する人はいる。

では、人間は何が満たされていれば人生を諦めないで済むのだろう…?

パズルのピースみたいに、自分の欲しているモノがカッチリはまらなければ、どんなに他のピースを手にしたとしても欠けたままなのかも知れない。

己の人生の所有者は己なので、その人が【死】という選択を選んだとしても否定はしない。

全面的な肯定ではないけれど「仕方ない」という気持ちに近い。

その反面「生きてほしい、死んでほしくない」とは勿論思う。

しかし【死】に気持ちが傾いている人に対して「生きていてほしい」を無作為にぶつけるのはエゴのようにも感じる。

生まれ落ちた環境が劣悪、何処にも逃げ場のない八方塞がりな状況、心が死んでしまうほどの体験…などのバックボーンが引き金で死を選びたくなる人もいるでしょう。

自身の経験の域を越えた重い理由を抱えている人に対して『大丈夫、生きていたら必ずいいことあるよ』なんて無責任なこと、私は言えない。

例えば、私が【死にたい】と思ったとして、誰かから『死なないで』と言われたとしても、その言葉が響くことは多分ないでしょう。

『おまえが死にたいと思った今日は誰かが生きたいと思っていた明日なんだ』という使い古された言葉もあるが、他者の人生と私の人生はそもそもが違うので別問題だと感じてしまう。

しんどさ、生きづらさ、虚無感を抱えて生きていくのは自分。

他人が私の辛さを全て取り除いて、背負ってくれるわけではない。

私としての人生を歩むのは私だけ。

自分の人生は自分だけのものである以上、他者に全振りできないからね。悲しきかな。

率直なところ、生まれることは選べないのだから、死ぬ時ぐらい自分で選ばせてほしいよ。

いのちの電話が繋がない」という呟きを目にしたが、繋がらなくなるほど多くの人が苦しい状況にあると思うと、なんとも世知辛い。

全く悩みを感じさせない人が、実は重く、深い悲しみを背負っていることもある。

みんな幸せなフリをして、平気なフリをしながら生きているのかも知れない。

 

今のところ私は、どんなに生きづらさに足を引っ張られようとも寿命を全うしてやるよ…と思っている。

もうヤケっぱち精神。

いい感じに終われたから良かったんじゃない?と思える最期を迎えたいな。

 

明日も生きよう。