人は何かに依存しないと生きていけないのかも知れない。
好きな人、好きなモノ、好きな事柄、特定の何かに依存して生きている。
依存というと表現として重いが、心の拠り所のような、これがあるから生きなくては、生きていこうと思えるもの。
寧ろそういうものがないと虚無感に苛まれ、生きることに向き合えないのかも知れない。
タガの外れた病的な依存は論外だけど…。
依存先は多い方がいいなんてことも聞いたことがある。
確かに複数の依存先があることで自身を保てる気がする。
要はAの推しに何かあってもBの推しがいるし、それがダメならCの推しがいるから大丈夫!みたいなこと。
うん…この表現だと浮気する奴と同じ原理だ…そりゃイカン…
けど、依存先を増やすってそういうことになるのか…うーん…。
好きな方向ではなく、嫌いという感情が発端の依存の形もあるのかも知れない。
特定の相手を誹謗中傷している人は、その人を叩くことで自己を満たす。
その行為は、自分のサンドバッグになってくれ!と被害者に甘えている、依存しているように見えてくる。
相手に執着し、依存している状態。
寧ろ誹謗中傷という行為自体に依存しているのでは…?
まぁ中毒と言っても過言ではないが。
本来は「好き」な依存先を増やしていければいいよね。
依存の形も様々で、度が過ぎている、他者に危害が及ぶことに関しては考えものだけど、多少なりとて人間は何かに依存した方が満たされるのかも知れない。
私自身、これからも推しに依存し、周囲に依存しながら生きていくのだろうか。
というか依存しっぱなしだな、自立しなきゃ…なんて思いながら今日も色々なものに依存している。