「オタクだと思っていたが、自分はオタクではないのでは?」

「グッズをほしいと思わない」というツイートを目にして、あぁわかります、となった。

グッズの売上が推しや携わっている関係者各位の利益になるので、売上に貢献するという意図でグッズ購入はする。

しかし、その物自体が絶対に欲しいのか?と聞かれると、うーん…となってしまう。

読者プレゼントなどの推しのチェキ、私物プレゼント等も応募した経験はあるが、基本的にそこまで興味がない。

では自分がオタクゆえ、オタクっぽさとはなんぞや…?と考えてみた。

 

見て!我が推し!こんなところに広告やパネルを置いていただける存在なんですよ!ヤッフォイ!!( ゚∀゚)

見た??この歌唱力(演技力)!これぞ!我が推し!!アッパレじゃぁぁぁぁぁ!!ドヤァ( • ̀ω•́ )

という状況に充足感を感じる。

推しの才能をガンガン見せつけられる状況を目にして、さすが推し!才能しか感じねぇな!最高!!となる高揚感。

推しが舞台に立ち、キャッキャウフフされている状況を見るのが至福。

なんかもうステージmother気分。

 

「周りが盛り上がっているのを見ると、遠くからそれを見ている感覚。離人感。自分に報せるブレーキみたいな」というコメントを見て、同じ感覚の人もいるんだな…と思った。

どこか俯瞰で眺めてしまう。

例えパフォーマンスをする推しに感動し号泣していたとしても頭の中では理性を手離していない。

理性を手離して興奮し楽しんでいる人を見ると羨ましいと同時に(こんなにファンを喜ばせることのできる推し最高)と、また一枚感情のフィルターのような俯瞰が邪魔をする。

推し事に限らず、日常生活でも集団でいると一歩離れた距離で周囲を眺めてしまうことが多い。

というか、幼少期からその癖がある。

 

自分は主体性が欠けているのでしょうか…?

主体性が乏しくても人生うまく運んでいる人は、柔軟性に長けていて上手く流されることができる人に多い気がする。

ある種の要領の良さのような。

それでいうと自分は、主体性はないくせに我の強さ、プライドの高さを持ち合わせているので物事が上手く運びづらい。要領が良くない。

主体性がないのに、人にコントロールされる、操縦されることに嫌悪感。

オレの人生はオレだけのもの!

オレが消えて喜ぶモノにオレのオールを任せない!精神だけ持って生きている(厄介)

自己肯定感はバリバリ低いのに、こんな性格してるからそう見られないのかね。難儀やのぉ…。

 

って、またネガティブスイッチ入っちゃったじゃん…言いたいことはそこじゃないのよ。

同志とやんややんや盛り上がるもよし、一人でひっそり楽しむもよし、推し方は人それぞれ。

推し方の定義はないから自由に楽しもう。

これからも私なりの推し事頑張ります!