個人が声を上げやすい時代になった、意見や批判が通りやすくなったと感じる。
あまりにも目に余るもの、明らかにタブーなものに対しては、それは良くないと発言した方がいい。
今まで声を上げられずに見過ごされてきたことが改善され、生きやすい時代になったと感じることもある。
最近、某駅の広告に批判が集まりすぐに廃止になった話があった。
あの広告を見た感想として、確かにいい気分はしなかった。
朝っぱらから見せられたら不快だなぁ…という文言。
しかし、広告を考えた人にも労力があったわけで、きっと色々な段階を経てあの形になったのでしょうね。
批判をすぐに受け入れ、取り止め。
この流れには妙なものを感じた。
炎上商法なんて言われてもいるが、本当のところはわからない。
どういう経緯なのか詳しく知らないが「みんなが不快だから」という同調圧力が集まった結果の廃止に思えてしまった。
あの広告自体、数分間の中で数秒流れる程度のものだったらしい。
切り取られた画像のインパクトが強くてバズってしまっただけ。
最近そのような事案が多くなった気がする。
批判の声が集まれば簡単に消せてしまう世の中って個人的には結構怖い。
自分が不快に思うなら見ないという選択肢もある。
一時的に出された広告。
単に目視して歩かなきゃいい。
※広告を作っている方がいましたら、不快な表現で申し訳ありません。
そもそも該当の駅を使用している人以外、大して関係のないことに思う。
自分が不快に感じた表現も誰かには必要かもしれない。
多少の腑に落ちなさも目を瞑って知らん顔することも必要じゃないのかな。
それとは別に、明らかに引っ掛かりを感じる事に対しては声を上げていきたい。
個々が声を上げれば変化しやすい時代だからこそ、どこを変えて、なにを見過ごすかが重要になってくる気がする。
何事も多数決で決まる。
集団の意見が強くなるのが必然。
100人中100人が納得のいくことはない。
少数派が割を食うのは仕方ないのかも。
なるべく偏りなく俯瞰で見る目を養いたい。
けど、私はまだ視野が狭く考えがお子様だから難しいと感じる今日この頃。