なるべく期待しない生き方、フラットな心持ちでいることが理想。

多分それが心身共に疲れない方法なんだと思っている。

「なんでこうしないの?」「なんでああなの?」という言葉を耳にする度、相手に期待し過ぎなのでは?と感じる。

他者に期待するから「裏切られた、騙された」となったり、相手に不満をぶつける結果になる。

例えば、こちらが頼んだことを相手がやっていなかった場合「なんでやってないの?」と苛つくことがある。

相手が自分の指示通り(思い通り)に動かなかったことに対する怒り。

期待(願望)に相手が応えてくれなかったことに対する苛立ち。

それってよくよく考えると、烏滸がましいなと感じる。

しかし、期待を全くしないというのは難しい。

他人から期待を向けられるのが苦手。

「期待してるよ」という言葉に「頑張ろう!」と思う人が本来は多いのだろう。

私の場合「期待してるよ」なんて言われた日には

はぁぁぁぁぁ???期待という小綺麗な言葉でアナタの願望を私にぶつけられても困るのですが???

その期待、ぶち壊して差し上げましょう!!!!!と思う性根の腐りっぷり。

単純にいうと、期待がプレッシャーとなり潰れてしまうタイプ(メンタルお豆腐)

「いつか変わってくれると思って…」と、相手に期待をしてズルズル関係を続けている人が稀にいるが(特に女性の恋愛面で多く見られる)人の本質は変わらないものだと私は思っている。

かなり荒れていたヤンキーが今は優しくて良い人、社会貢献に準じていますなんて話も聞く。

なんだ、人は変われるじゃん!と思うが、それはその人が元々持っていた本質、或いは側面が何かのキッカケで引き出されただけなんじゃないかと思っている。

本質は優しかったが、周囲の環境や築いていた人間関係で荒まずにはいられなかったなど、あらゆる原因から人格が歪んでしまっていたのが元の形に戻されただけなのでは…?

結局「変わろう、変わらなきゃ」と本人が自覚しないと変わることはない。

本人次第だと思う。

他人が無下に「変わってほしい」と願ったところで、本人に響いていないのなら変化するはずがない。

それはただ「相手に変わってほしい、私の理想とするアナタになって」と相手に期待しているに過ぎない。

正直エゴだと思う。

しかし人間関係は、期待をぶつけ合って成り立っているところもあるのかもな。

誰にも期待されないというのも淋しいし。

他人に過度な期待はせず生きていきたいけど、勝手な期待を向けてしまう自分もいて、まだまだ未熟でスミマセン…という気分に毎度なる。