いい時代を生きていると思う。
ある意味「優遇」が当たり前の社会。
時代が時代なら、こちら側の人間は不用品として間引かれていたんだろうと私は常々感じている。
表にも出してもらえない。
「存在」として許されない時代もあったはず。
生まれた時代が違えば、酷く惨い状態にあったかもしれない。
幽閉されていたかもしれない。
見世物として奇妙がられていたかもしれない。
もしかしたら亡き者にされていたかもしれない。
確かに、生きる上で大変なことはある。
どうしたって理解されない、汲んでもらえない苦労もある。
けど、「こういう立場」なんだから「やってもらって当然」
自分の「気持ち」を盾に、相手の「お気持ち」を使わせるのは少し我儘なのでは…?
確かに、誰も損をしない。
どんな立場の人でも心地よい環境であれば最高だよね。
けどそれが難しいなら、その場の秩序と噛み合っていないなら、その場所には自分が沿っていないということ。自分が退くしかない。
郷に入っては郷に従え。
あまりにも粗悪であったり、負荷がかかるなら主張することは大切。
寧ろ、主張しないと誰にも理解されないから。
変えられるところは変えてもらって、少しでも負荷が軽減されればそれは喜ばしいこと。
けど、基本ベースとして世の中は自分仕様にはできていない。
自分がカスタムできる範囲を付け替えて、自分で調整していく。
なんで自分仕様にしてくれないの!やってくれて当然でしょ!というのは、あまりにもお客様精神が過ぎる。
けどまぁ部外者が、やってやってるんだ!感謝しろ!と言うのも違うけどね。
マジョリティが主流になるのは当然。
溝はどうしても埋まらない。
我慢して妥協して諦めていかなければいけないこともある。
どんなに不必要でも持たされてしまったものは自分で抱えて生きていくしかないから辛いね。
なんてことをちょっとした炎上をみて思った。