「認知の歪み」という言葉をよく目にする。
物事の捉え方の歪みで、事実ではない歪んだ捉え方(主にネガティブ、マイナスイメージ)をすること。
要は勝手な思い込み。
自分の思考癖を考えると物事をマイナスに捉えがちなタイプだから、事実とは異なる解釈をしていることも多々あるでしょう。
しかし、ここで疑問。
では、正常な認知とは?
環境も性格も気質も全てが違う人間しかいない世界で、相手と同じ「認知」を持つなんて難しくない…?
例えば、隣に座っている人が溜息を吐いたとする。
認知が歪んでいない人は「疲れてるのかなぁ」と受け流す。
認知が歪んでいる人は「私、なにか悪いことしたかな…私のせいかも…」と捉える。
何に対しての溜息なのか、本当の理由なんて本人に聞かない限り判らない。
自分に対しての溜息だった場合、他人事だと受け流したことは解釈違いになる。
事実とは異なる解釈をしている時点で、それも認知が歪んでいることになるのでは…?
ポジティブな思い込みは「歪み」と表現されることは少なく、ネガティブな思い込みだけ「認知の歪み」と称されやすい気がする。
ポジティブな捉え方であればOKというのは、個人的には何故だか気持ち悪いなぁと感じる。
「そんなの考え過ぎだよー」なんて言われたことが意外に当たっていたりするもんね。
ところで最近、毛並みのあるものをモフモフしたい衝動に駆られる(唐突)
猫カフェに暫く行けていない弊害。
確実に禁断症状だ。
いっそのこと突然変異で自分に猫耳、しっぽ、肉球が生えないかとさえ思う。
しかし、自分自身にそんな変異が起きたとして、それは喜ばしいことなのか…?
パーツのみ猫、しかし自分…なんて見苦しい。
かわいい女の子がやるべき案件だ。
何よりやっぱり普通のネコチャンが良い。
なんの話をしてたんだ…あー、認知の歪みだ。
とにかく、何が事実で何が偽物かなんて判らないし、自分が真実だと感じたことを信じるしかないのかもね。