自分の限界と闘って努力している人は美しい。

陰で努力を積み重ねている人は美しい。

努力で勝ち取った場所で輝く人は美しい。

しかし、努力した結果が自分の理想通りになるとは限らない、は忘れないでいたい。

「努力すれば必ず叶う」「頑張れば理想の場所に辿り着けるよ」「努力は裏切らない」

などというワードに苦手意識がある。

努力すれば叶うのなら、努力した人全員の願いが叶っていなければならない。

そもそも努力の度合いは目に見えない。

測定できないもの。

辛辣ではあるが、本人の中で(努力した)という認識があるだけで、それより過酷な努力を積み重ねている人が他にいるかも知れない。

正直なところ、人生は運と才能で決まるものだと思っている。

いくら努力をしたとしても才能がないのなら、運に恵まれなかったのなら、開花せずに終わるのではないか…?

例えば、音痴の人が歌のレッスンを受ければ、ある程度は上達するでしょう。

しかし、沢山の人から賞賛されるほどの歌手になれるか?といったら話は別。

元々歌が上手く、磨けば光るという見込みのある人であればもっと上を目指せる。

これが才能。

素質を持ち合わせていない人はスタートラインにすら立てない。

才能があったとしても、それを活かす場所に巡り合わなければ意味がない。

偶然にも自分が輝ける場所を引き当てたのなら、それは運。

人間は生まれた時から運ゲー

「整った容姿」「裕福な家庭」「強いメンタル」

当たりカードが多いほど活きる幅が広くなる。

逆にハズレが多いと詰むことも多く、活きる幅が狭くなる。

酷な話だけど…(書きながら自分も瀕死)

当たりを持っていても、自分が望まないカードばかり揃っているなら当人は不満に思うのかも知れないけどね。

もちろん運や才能に恵まれたとしても、そのポジションを死守する、継続させるには努力が必要。

というか、ここで努力が登場する。

努力できる環境が整っているから真っ当な努力ができるんじゃないかな。

じゃあ、努力できる環境がない人はしなくていいや、無駄だし、という意味ではなく、努力することは素晴らしい。

その努力が理想の方向で報われなかったとしても、意外な方向で自分を救うかも知れない。

しかし「努力さえすれば 夢は叶う!」という思い込みは危険。

「努力」を語る人の言葉の数々には

努力をしたら(私は)夢が叶いました。

チャレンジしたら上手く行きますよ(叶うか叶わないかはアナタ次第です)という含みがあることも頭に入れておきたい。

本気でコツコツ努力しチャレンジし続けて、理想のポジションを勝ち取った人がいるのは確か。

しかし、そんな生き方ができる人はごく稀。

努力できることも才能の一つだと思う。

努力を努力として捉えず、努力し続けている人の姿が一番美しいと感じる。

誰かのため、アナタのため、という努力も美しいけど、それが行き過ぎると自己犠牲になる。

思い通りの結果にならなかった場合、オマエのせいだ!と加害的な気持ちが生じる。

努力って基本は「自分のため」という純度がないと続かないのかも知れない。

そもそもズバ抜けた努力をする人に目を向けがちだけど、生きている上でそれぞれが自分なりに頑張っているんだと思う。

今日お休みの勤労の民、今日も勤労している民も頑張っているよね。マジ感謝(勤労感謝の日

因みに私はナマケモノ素質だけがカンストしているので頑張りません(ダメ人間)

努力?なにそれ?美味しいの??