「そういうイメージないなぁ」

「ちょっとイメージと違った」

「印象的になんか合わないんだよねぇ…」

人間は案外、抽象的に相手を判断している気がする。

外側から見たって相手のことが分かるわけないじゃん、と思う半面、先入観という大枠に嵌め込んで他人をジャッジしてしまうことが私にもある。

イケメンかぁ〜遊んでそ〜〜とか、

金持ちはいいよね、いいもん食って夜な夜なパーリーしてるんでしょ??

なんて思っちゃうよね、失礼だけど。

よくよく考えれば、遊ばないイケメンもいるだろうし、地味に暮らす大金持ちもいるでしょう。

しかし勝手なイメージに引っ張られてしまう。

人間だもの(逃げ)

 

人間関係はイメージの押し付け合いで成り立っていると思う。

綺麗に(見えるように)

可愛く(見えるように)

全て印象操作。

SNSが主軸になった今「私はこう見られたい」が各々で加速したように思える。

「こう見られたい」を見せられているだけ。

または、見せているだけ。

どんなに努力していても報われないことはあるけど、「一生懸命風」に見える人が結果的に成功する場合もある。

印象操作が上手い人が勝つ構図は理不尽ながら存在する。

表面的な部分、或いは相手の一部分しか見ておらず分かった気になっているだけで、本当に相手の深いところまで理解しているのか…?

どんな関係性であっても相手のことを100%理解するのは無理だろうと私は思っている。

相手を理解したつもりだとしても、結局は自分の解釈というフィルターを通して見た「あの人」

こちらが勝手に思い込んでいるイメージの投影にすぎない。

そしてそれは自分も他者から必然的にされている。

勝手にイメージ付けされ、ラベリングされている。

アナタこういう人よね?あの子ってこういう子だよね?って。

いや、それは違う(もしくは表面上の私です)けど…と言えれば簡単だけど、そうはいかない。

表向き笑っていたとしても、裏では泣いているのかも知れない。

泣いているそぶりを見せて、心は笑っているのかも知れない。

本当のことなんて本人にしか分からない。

相手の気持ちになって考えましょうと習うけど、性格、価値観、生きてきた環境、抱えているものがそれぞれ違うんだから正解ってよくわからないよね。

むしろ、万人にフィットした正解はないのかも。

 

これからもイメージ通りに生きたり、イメージを裏切ったりしながら生きて行こう。